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アユタヤ

アユタヤ

旅のヒント

旅のヒント

バンコクの北76キロメートル。世界遺産にも登録される古都・アユタヤの歴史は、1350年にアユタヤ朝初代国王によって開かれたことに始まります。以後33代・417年間にわたって王都として栄え、1767年にビルマの侵攻によって陥落、廃墟となりました。町は、東西7キロメートル、南北4キロメートルの長方形をしていて、四方を川に囲まれています。移動にはトゥクトゥクなどのほか、起伏が少ないので時間がある人はレンタサイクルを使うのもおすすめです。

ワット・プラ・スィー・サンペット

ワット・プラ・スィー・サンペット

1491年頃に完成したアユタヤ王室の守護寺院。1500年には黄金に覆われた高さ16メートル、171キログラムの巨大な仏像が建造されましたが、ビルマによる侵攻で寺院もろとも破壊。15世紀に建てられたセイロン様式の3基の仏塔のみが残されました。苔むした廃墟にすっくと建つ均整の取れた仏塔は今なお美しく、アユタヤのシンボルとしてライトアップされる夜はことのほか幻想的な雰囲気に包まれます。内部には3人の王の遺骨が納められています。

バン・パイン宮殿

バン・パイン宮殿

アユタヤからチャオプラヤー川を約20キロメートル南下した地にある宮殿。1637年に26代王が夏の離宮として建てたもので、川の中州にある珍しい宮殿でもあります。王朝の滅亡後は放置されていましたが、19世紀になって再建。現在も王室の離宮として使われています。西洋や中国の建築様式も取り入れた、絢爛豪華にしてユニークな建築の数々が見ものです。

COLUMN アユタヤで活躍した日本人――山田長政

COLUMN アユタヤで活躍した日本人――山田長政

中国、ペルシャ、ポルトガルなどとの交易を行い、国際都市としても栄えたアユタヤ。外国人街の建設が許可されると、ヨーロッパ各国に交ざって朱印船貿易で渡タイした日本人による日本人町も誕生しました。1612年頃、静岡県沼津港からタイに渡って日本相手の貿易で活躍したのが山田長政です。ビルマとの戦いで功績をあげるなどアユタヤ王朝の発展にも貢献し、最高の官位を得たといわれています。この時代は日本人町も活況を呈し、最盛期には3000人以上が暮らしていたとされています。しかし、長政が何者かに暗殺され、日本では鎖国令が発布されるとともに衰退。今は当時の面影は残されていませんが、長政の像や記念碑、泰日協会記念館などにその足跡をしのぶことができます。

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